ラグビーW杯2023日本代表のキャプテンを務める姫野和樹選手。
いつも笑顔で素敵な姫野和樹選手の、生い立ちが実は壮絶だったといいいます。
姫野和樹選手がどんな幼少期を過ごしたか、極貧エピソードをまとめました。
なぜ壮絶な過去を公表したのかについても調べたのでお伝えします。
姫野和樹選手を応援したくなること、間違いなしですよ♪
姫野和樹の生い立ち極貧エピソード11選
姫野和樹選手が、自身の過去を公表し、その生い立ちが壮絶すぎると話題になっています。
姫野和樹選手の家族構成は、父、母、姉、姫野和樹選手、妹の5人家族です。
父は元競輪選手、母はフィリピン人の家庭だったそうで、どんな生い立ちのエピソードがあったのか、紹介したいと思います。
それではいってみましょう!
①オンボロ木造アパート
姫野和樹選手は、愛知県名古屋市出身で、その当時の住んでいた木造アパートが古くてボロボロでした。
間取りは6畳2間と、5人家族が住むにはかなり狭く、ゴキブリもよく出るアパートだったそうです。
友達を自宅に呼んだことは一度もなく、家に帰りたくないあまりに夕方は公園で過ごすこともあったそう。
このアパートに高校卒業するまで住んでいたそうで、かなり手狭なのがわかりますね。
姫野和樹選手が通っていた小学校区は、それほど裕福な家庭は多くなかったそうですが、ダントツに貧しかったそうです。
②給食費が払えなかった
姫野和樹選手の過程は、貧しかったため学校の給食費が払えないこともあったそうです。
毎月、担任の先生から給食費を催促されて、それをクラスメイトの前で言われていたことが苦痛だったと語っています。
今でこそ、クラスメイトの前で催促することはないとおもいますが、小学生の姫野和樹選手にとっては辛かったと思います。
姫野和樹選手のメンタルの強さは、苦しい経験を乗り越えてきたからでしょうね。
③流行のおもちゃが買えない
姫野和樹選手の家庭は貧しかったため、友達の間で流行っていたゲームやおもちゃなどを買ってもらうことはなかったそうです。
友達と遊ぶときは、近所の公園でサッカーや野球をしたり、駄菓子やに集まってベーゴマやけん玉遊びなどで楽しんでいました。
昭和の遊びをしていたといい、それはそれで楽しそうですよね♪
ただ、流行のゲームやおもちゃも欲しかったと思います。
幼少期から、我慢するという強い精神力も鍛え上げてきたのですね。
④習い事は体験のみ
姫野和樹選手は、運動神経もよく野球やサッカーも好きだったそうです。
小学生のころは、地元の野球チームやサッカーチームに体験入部したこともあったといいます。
しかし、用具や月謝をにお金がかかってしまい、払えないとの理由で諦めるしかなかったそうです。
小学生のころの悔しさが、のちのラグビーで本領発揮するのですね。
⑤お小遣いなし
姫野和樹選手は家庭が貧しかったため、もちろんお小遣いもありませんでした。
友達が、駄菓子やでお菓子を買っているそばで見ていたそうです。
その様子を見ていた、駄菓子屋のおばちゃんがベーゴマやけん玉を成功したら、お菓子と交換してくれたそうですよ。
駄菓子屋のおばちゃんの優しさ、素敵すぎますよね。
お小遣いをもらえなくても、楽しく過ごしていたようです。
⑥両親はいつも喧嘩
姫野和樹選手の両親は、いつもお金のことで喧嘩していたそうです。
お母さんはフィリピン人ということもあり、異国の地で余裕がなかったのかもしれません。
喧嘩すると「フィリピンに帰る」と言って出ていこうとすることもあったそうで、兄妹で必死に止めていたそうです。
この頃は、必死で両親も余裕がなかったのでしょうね。
⑦両親がギャンブルにのめり込む
姫野和樹選手の両親は、給料日になると朝から晩までパチンコにのめり込み帰ってこないことも多かったそうです。
両親が帰ってこない日には、テーブルの上に千円札が置かれ、これでご飯を食べなさいと置かれていたそうです。
姉妹とコンビニでおにぎりと唐揚げ棒を買い、食事をしていたと語っています。
両親からの愛情も十分に受けていないと思われますが、姫野和樹選手は両親を恨んだことはないと言います。
⑧中学でラグビーの遠征費が払えずに嘘をつく
Embed from Getty Images中学生になると、ラグビーに出会いのめり込んでいきました。
その大柄な体格と運動神経でめきめき上達し、愛知県の選抜メンバー候補に選ばれました。
しかし、姫野和樹選手はお金がないからいけないと本当のことは言えず、「県選抜の監督が好きじゃないから行かない」と嘘をついていたそうです。
家庭の事情もわかっていただけに、行きたくても行けない悔しさと恥ずかしさから、嘘をついたそう。
中学生とはいえ、本当に辛かったと思います。
⑨私立高校に行くために猛勉強
Embed from Getty Images中学3年生になり、ラグビーで一目おかれていた姫野和樹選手は、いくつかの高校から声が掛かります。
そんな中、姫野和樹選手が選んだのは、推薦で学費を免除してくれる私立の春日丘高校でした。
ここから、必死で受験勉強に励んだそうで、先生たちのサポートもあり、見事に合格を果たします。
これまで、全く勉強してこなかったそうで、受験勉強は眠気と戦いながら大変だったそう。
ちゃんと合格して、しかも全額免除も頂いて、ほんとうに親孝行ですよね。
⑩高校の合宿費は顧問が立て替えてくれた
Embed from Getty Images高校の時には、ラグビーの遠征費用が払えないこともあったそうです。
姫野和樹選手は、遠征行くことを諦めていたそうですが、顧問の宮地先生が立て替えてくれていたのです。
いつも気にかけてくれていたそうで、ほんとうにいい先生に恵まれたと思います。
⑪死を考えたこともあった
Embed from Getty Images姫野和樹選手は、情熱大陸の取材で「死のうかなと思ったときもありました」と語っています。
これがいつなのかは、おっしゃていませんでしたが、張り詰めた気持ちに耐えられなくなったこともあったのでしょうね。
この時に、踏みとどまったのは、友達の顔が思いうかんだといいます。
いい友達に恵まれて、壮絶な過去を乗り越えてこられてほんとによかったと思います!
姫野和樹選手が、これほどの苦労があり、それを乗り越えられて凄すぎます!
ラグビーと出会い、ハングリー精神で努力を重ねて頑張ってきたからこそ、今の素晴らしい活躍があったのですね!
今後の姫野和樹選手の活躍にも期待が膨らみますね♪
姫野和樹はなぜ過去を公表したの?
姫野和樹選手の生い立ちを紹介してきましたが、なぜ姫野和樹選手は、自身の苦労した過去を公表することにしたのでしょうか。
自分のように、幼少期を苦しんでいるでいる子どもたちを少しでも勇気づけたり、希望を持ってほしいという思いからだそうです!
「僕は、あまり自身の幼少期の事とか人に話すことはなくて、むしろコンプレックスに思っていた時期がありました。でも、発信しようと思ったのは同じ境遇の子供たちが他にもいるだろうと思ったからです。勇気を感じてもらえれば嬉しいなって思います。
引用元:情熱大陸公式YouTube
壮絶な過去を乗り越えたからこそ、言葉ひとつひとつに重みが感じられますね。
自身の苦労した過去について、誰かを恨んだり、両親のせいだと思ったこともないそうで本当に素晴らしい方だということがわかりました。
まとめ
ここまで、姫野和樹選手の壮絶な生い立ちについて紹介してきました。
姫野和樹選手の、いきいきした笑顔からは想像もつきませんでした。
その苦労した生い立ちがあったからこそ、今の姫野和樹選手があるのだと改めて知ることが出来ました。
きっと、今苦労している子供たちにも、姫野和樹選手の思いが届いていると思います!
現在開催中の、ラグビーW杯2023での姫野和樹選手の活躍も楽しみですね♪
これからも、姫野和樹選手を全力で応援していきましょう!